40代からのアコギ習得への道

音楽・楽器経験ゼロからアコースティックギターを始めます&ランニングも!

(雑談) 意図的に使わない言葉①②

(この記事は、2020年7月にアップしたものを
加筆・修正して再掲示したものになります)







本当にどうでもいいことだけど



昔から考えることが大好き



僕は大学生のころ
必修科目で落としてしまったものだけ
次年度にちゃんと全部授業を出席して
まじめにテストを受けてそれなりの成績を残す




でもそれ以外は
ほとんど授業に出席しなかったので
大抵の科目でC評価(←大文字にするなよw)




それでも出席日数が必要な授業は




授業に出席するけど
何かを思考する時間に当てていた時期があった





特に、銀行論、はつまらなく
分厚い本を買わされたけど
漬物石にも、枕にも活用されることもなかった





ノートだけはちゃんと用意するけど
ノートの前半は講義の板書を書いたふりに使い





ノートの一番後ろから逆に向かって
思考したことを書き留めていく





僕はその頃から文字を書くのが好きで
長い長い
何にも役にたたなそうな
でも考えることが好きだから
文字を書き連ねていた




僕には
小説のような物語を考える能力はない




でも
何かを見て
心で感じ
するとすぐに思考が巡りだし
あーでもない
こーでもない




考える
ってことが
尽きることがない




僕は僕と関係する限られた少ない人々に
同じような、考えることが好きな人が1人もいないから
いつも1人で考えていた






僕には


”意図的に使わない言葉”


というのがある



全くどうでもいいことではあるけれど
と前置きするのももう飽きたので
僕のたわごとはすべてそれだから
これからは書かないでおこうと
ふと今思ったのだが





【意図的に使わない言葉①】
【信じる】




僕は
もちろん確かな記憶があるわけじゃないけど
恐らくは大人になってから
一度も
【信じるとか、信用する】
という言葉を使ったことがない




まあ、一度も、は大げさか?w





でも、一般的な意味でそれを使う機会が
僕の人生にはない




ちょっと国語的な正確な解釈は放り投げて
全く個人的な考えで書くと





信じる
とは



得体の確認できない何かについて
その人の勝手な希望にすがり付いている様子
それを表す言葉




僕の定義はそうなっている




そもそも




目の前にテレビがあったとしよう




そのテレビを見て、人は



”テレビが目の前にあると信じる”



とは、例外なく誰も言わない





派生的に



目の前で起きた交通事故を目撃したのに




”信じられない”



と使う場面があるが





確認できたこと
について



信じる、と言う言葉は使えない




もちろん僕もバカではないので
信じられない!
ほどの
とてもショッキングな~
という意味で使用しているのは知っている




しかし僕は
確認できていることに関して
そもそも信じるという言葉は使えない
と定義している
ので





今の例で言えば




【信じられない!】




ではなく



【個人感情として、認められない!】



と言わなければならない場面である





どういうことか?





もし明日、空から魚が落ちてきたら





えぇっっ!!!!!
個人感情として、認められないっ!!!!





って、叫ぼう






あ???



あにいってんの???







話を戻そう





先ほどの定義のように



信じる、とは



確認できないもの(こと)においての
自分の願望であるので




そもそも、確認できないものに関しては
様々な可能性があるという事実から





一方に偏った希望を抱いても
反対の結果になりうるかもしれない
というのは
ひどく容易に想像がつくことだ





であるならば




信じる
特にこの言葉は
人に対して使う言葉であるけども




どんなにやさしく接してきてくれた人が
明日、僕を刺すかもしれない




というのは、僕にとっては驚きに値しない




なぜなら、明日僕を刺したら
その事実を僕は経験できるから
目にする事ができ、確認できるから




一方で
目にできなくても
確立された理論を伴って起きる現象については
同じように、理論で確認できたと言えるので
必ずしも目にできない事実でないといけない
ということでもない




ということで




今日はAでも明日はB
はあり得るので




Aという事実をもってして
明日もAだろうという
思い込みからくる




信じる



と言う言葉に
僕はひどい違和感を覚えるし





信じる、があるから
信じられない、も出てくる







今気づいたけど


【意図的に使わない言葉②】
【裏切る・裏切られる】




この言葉も
僕の人生にはない



だます、だまされる
はあっても
その結果から導き出される
裏切る、裏切られる、は僕は使わない




なのでまとめると




信じる、と言う言葉は
そもそも使えないし、使う場面がない
なぜなら
過去の経験則から偏った希望を
僕はもたないから




したがって
信じるを使わないので
信じられない
自動的に言葉として存在しない




また、裏切る、裏切られるも同様






こんなことを言っていると
すぐに
こう言い出す人がいる




そんなことを考えて
言葉で遊んで
何か役に立つのか? と





それがですね




実生活で
役に立つんです!
(ほんとか?w)






この言葉の定義の利点




人に対して、”偏った” 期待をしないことにより
いつ、どんな行動でも
必ず理解できる
なんの不思議もないと解釈できる




不思議については
厳密には
例えばその動機、などについては分からないことが多いので
そういう意味の不思議を除く




これ、なんだか冷たい感じや
ネガティブに見えるけど




本当は
すごく、すごく、ポジティブな発想だ





人のちょっとしたわがままやずるさなどで
これまでと違う言動や行動があったとしても




感情的なひどい腹立たしさや
偏見などの感情は生まれないから




ちょっと表現に注意が必要だが




となりのまじめな東大生が
ある日、人を殺しをした



という事件は



東大生(つまり、まじめなイメージ)と
殺人
とは
なんら関係がなく
そして常に共存できる



というのが容易に理解できるので



え!
東大生が殺人!



とか、なるはずがないんです






もう一つ例を挙げれば



あの人が不倫!?



などの驚きだって、僕には、ないんです




このことは
”事実を必要以上にオーバーにしない”
ということで大きな利点を有し




実はいろんなことに通じていて





物事を深く理解しよう
そういう態度で臨むと
とても正確に理解が進み
一見クールでネガティブのように

見えるかもしれないが




実は様々な情報をきちんと区別できるので
気分だって晴れやかになりやすいし
困難にも前向きに立ち向かいやすくなる
んですよ






そんなお話し?
でした





んー
こんなに書いといて




わっかりにくいな~




って思った(大汗

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