40代からのアコギ習得への道

音楽・楽器経験ゼロからアコースティックギターを始めます&ランニングも!

(雑談) 不倫論の結末

世の中、不倫話が好きである




始終絶えない芸能人の不倫ネタは
”興味のある人が多い”
から記事になる







以下、”不倫論の結末” までに至るまでに
右往左往しているように見える考え方を記すけど
矛盾はないので、読解力・理解力がある人のみ
内容を理解できるだろう
(理解はできても、僕と同じ考えだというわけでない)





まずこの記事の、亀山早苗、というライター
僕は知らない
調べてみたけど、知らない



この方の記事内容を読むと
基本的には不倫に寛容であることは分かる



しかしいくつも誤った考え方があるので指摘すると




>不倫を否定していたふたりも、それぞれに認めて謝罪した。広末涼子は「無期限活動停止」だという。鳥羽氏のほうは「自分には料理しかないから精進する」とコメントを出した。



これに対しては、男尊女卑だ的なことを示しているが
その後に続く




>職業や知名度の違い、イメージや影響力の強さの違いといえばそれまでだが、同じ立場で片方だけが仕事を奪われる理不尽さに、彼女には気の毒だという思いが先に立つ。



というのは、全くの不実




立場が逆だったら、彼の方が仕事を奪われていただけ
もう少し突っ込むと、この状況(立場が逆じゃなくても)でも
彼の仕事もそれなりに影響はあるはず



無意味な擁護は
不倫は悪だとしか言えない貧弱な思想主に
反論の機会を与えるだけの意味しか持たない




続いて


>母を許すかどうかは子どもたち自身の問題、母が恋多き女性だからといって、短絡的(たんらくてき)に「子どもがかわいそう」と反応するのは、よけいなお世話である。



そもそも個人の不倫記事自体が余計なお世話だろ
と言われてしまうような内容である



ここで釘を刺しておきたいのは




人それぞれだ




というのが口癖の人は
相当に頭が悪い




という事実




自分にとって興味のないことは
人それぞれで勝手でいいというが
自分にとって興味があることは
ああでもない、こうでもないと述べる




よって
”人それぞれだ”
という言葉は
よほどわきまえて使用すべき言葉であって
通常は”使用してはいけない言葉”である





さて、話を戻そう




余計なお世話、だと言ってしまうと
あんたの記事こそ余計なお世話だ
と、必ず反論されるので
反論される隙を与えてしまう言い方や考え方は
特にライターとしては不適当極まりないだろう





続けると


>父親が不倫しても「子どもをないがしろにした」という点で責められることは少ないが、女性に対しては必ず「母親なのに」といった批判がつきまとう。


これに対しては、全くその通りなのだが
それは、世間の人々が頭が悪い人が多すぎて
考えぬことから創造されるイメージがはびこっている




なので
”母親なのに”
と言われるのは
母親なら甘受しなければならない




父親なのに
と言われる場面もあるので
不平等ではない




さらに、記事への言及は最後になるが



>広末涼子は恋をしたのだ。どんなに夫に敬意や感謝を抱いていても、どんなに子どもを愛していても、「恋の沼」にはまってしまったら逃れることはできない。恋をしても、子どもへの愛が消えたわけではないだろう。



これは全くその通り




人は”往々にして”
機会があれば流されるものだ




不倫、に関していえば



少数の何割かの潔癖症の方は絶対にしないのだが
それ以外の多数は

機会があれば
してしまうものだ




赤信号を渡ってしまったことがある
という例と
この不倫の例が同列でない
と考える人は
相当に頭が悪い




感情を挟むから違うものに感じるだけであって




ルールや道徳に
分かっていても反してしまうことがある
(もしくは、あった)
というのは、どの例でも全く同じものである



赤信号は許されるが
不倫は許さない
というのは



単純な感情論であって
非理論的この上ない




よって
多くの人が起こし得るのが
不倫
である



全ての人とは言っていないので
言い過ぎでもない



道徳に反する行為が
他にもあるのだから
不倫だけを特別扱いするのは
何度も登場しているが




頭が悪すぎる



としか言いようがないのだが
世間がそれを許さなという風潮は
事実としては十分理解できる




では、まとめよう





美味しいものは
機会さえあれば
誰だって自制が聞かなくなって
食べてしまうことがある




じゃあ、それはよしとできるのか?

そういうことではない


ルール違反は
ルールが改定されない限り
違反は違反である




じゃあ、その矛盾をどうするのか?




↓ 不倫論の結論はここw





ばれないようにする



これに尽きる





非常につまらないと思われる結論w






相当数の反論を頂きそうな
単純すぎる結論
であるが




僕ほど本質を理解できるいる者もいまい




こういう言い方をすると



ばれなきゃいいのか?
サイテーな人だね!



と言われると思うがw



しかしね




ばれなければいい
というのは真実であるよ





僕は
うわべで語らないだけ




ばれない=知られない(=知らない)
ということだ





ウクライナで毎日むごい殺され方をして
人が亡くなっているが
僕らはそれに
なぜ苛まれないのだろう?



なぜ毎日震えあがるほど恐怖を抱かないのだろう?




それは、



知らないからだ




それだけ




知ったら違う感情が生まれるが
知らなければ感情は生まれようもない




人間の道徳の問題ではない



ルール違反は
知られないようにやるしかない





では
知られたらどうなのか?




それは今回の結果通り



世間の批判を 甘受するほかない




後悔もするかもしれないが
知られてしまったら後戻りできないので
それはもうどうしようもない



反省します



とするしかない





矛盾



とは
必ず世の中にあるものだ




それを許さないだなんて
あまりにも頭が悪すぎる






矛盾とは
のみ込んで対峙するものだ






結論:


①不倫は機会があれば、多くの人が犯すものだ
②その機会が訪れてしまったら
 絶対にばれないようにするしかない
③ばれてしまったら、批判は甘受するしかない
④矛盾は絶対になくならないので、不倫もなくならない





付け加えておくと
300年後には
相当に不倫に関して
今ほど批判を受けない世の中になっているだろう



これを語ると終わらなくなるので
今回はこの辺で~w


×

非ログインユーザーとして返信する